ベルモットが蘭を「エンジェル」「宝物」と呼ぶ理由【名探偵コナン考察】

 

蘭を「エンジェル」「宝物」と呼ぶベルモット。読者にはすっかりお馴染みの呼び名ですが、そこにどんな真意が秘められているのかは明かされていません。

しかし、考察を進めるうち、「エンジェル」と呼ばれるためにはある条件が必要だとわかってきました。どうやら、ベルモットには過去にも「エンジェル」と慕った人物がいたようなのです。

ということで今回は、ベルモットが蘭を「エンジェル」「宝物」と呼ぶ理由について考察します。




「エンジェル」と呼ぶようになったきっかけ

まずは、ベルモットが蘭を「エンジェル」「宝物」と呼ぶようになった経緯をおさらいしましょう。

蘭「何してるの!? 早くわたしの腕につかまって!!」
(名探偵コナン35巻より引用)

有名なニューヨーク編のこのエピソードですね。

通り魔に扮していたベルモットは、潜伏先を蘭に見つかり、口封じのため殺そうとします。しかし、寄りかかっていた柵が外れ、一転して窮地に。それを救ったのが蘭でした。

 

通り魔事件がきっかけだった根拠

一応、このエピソードがきっかけだったことを証明しておきます。

 

シャロン「あなたの言う通り…私にも天使がいたみたいって…」
(名探偵コナン35巻より引用)

ニューヨーク編の事件前には「神様なんているのかしら」とうそぶいていたシャロン。しかし、事件後には「私にも天使がいたみたい」と心変わりします。この期間内でシャロンが登場したのは、通り魔に変装した一連のエピソードだけ。

 

ベルモット「Move it,Angel!!(どいて エンジェル!!)」
(名探偵コナン42巻より引用)

「どいて、エンジェル!」と叫ぶベルモットが通り魔の視点とダブる。このシーンからも、「エンジェル」と呼ぶきっかけが通り魔事件にあることがわかります。

 

また、一部では「一年前のシャロンと現在のクリスが同一人物とは限らない」という反論もあるとか。確かにそれなら、シャロンとクリスの定義する「エンジェル」はそれぞれ別の意味を持つ、なんてケースも考えられます。

ですが、一年前のシャロン=現在のクリスと同一人物であることは確実。

 

(名探偵コナン35巻より引用)

ただ腕を組んでいるように見せかけて、怪我した脇腹を抱えています。シャロン=通り魔であることを示すシーン。

 

そして、二元ミステリー編の「どいて、エンジェル!」のシーンでは、クリスが通り魔の視点を回想しています。つまり、クリス=通り魔であることも確定。

「シャロン=通り魔」であり、「クリス=通り魔」であるとすると、三段論法で「シャロン=クリス」も成り立ちますよね。

 

以上の理由から、ベルモットが蘭を「エンジェル」と呼ぶきっかけは、通り魔事件だったと考えてよさそうです。

 

「エンジェル」と呼ばれるための条件

では、「エンジェル」という呼び名にはどんな意味が込められているのでしょうか。なんとなく「心の底から優しい人」とか「清廉潔白な善人」を指しているのはわかるけど、もっと具体的な定義があります。

それは「自己犠牲精神に象徴される純粋な善意」です。

 

蘭は自己犠牲精神の塊

そもそも蘭は、自己犠牲精神の塊です。

二元ミステリー編では灰原をかばい、映画「ベイカー街の亡霊」では自らゲームオーバーを選びました。通り魔事件のエピソードにおいても、それは遺憾なく発揮されています。

蘭が助けたのは、直前まで自分を殺そうとしていた人物。助ければ当然、自分の身にも再び危険が迫ります。それでも手を差し伸べたのは、自己犠牲すらいとわない強烈な善意の持ち主だから。

 

新一「わけなんているのかよ?人が人を殺す動機なんて、知ったこっちゃねーが…人が人を助ける理由に、論理的な思考は存在しねーだろ?」
(名探偵コナン35巻より引用)

この新一の名ゼリフ。

「論理的な思考は存在しない」とは、裏を返せば「論理的に破綻した行動をした」ということ。つまり、自己犠牲精神のことを指しています。自分の身をかえりみない自己犠牲精神は美徳ですが、論理的にはメリットがありません。

 

変化したベルモットの考え方

有希子「ねぇ、シャロン…もしかして気づいていたんじゃないの?ローズがあの後何かしでかすって…」シャロン「ええ…そういう勘は昔から働くのよ…」
(名探偵コナン35巻より引用)

一方のベルモットは、ローズが殺人を犯すと気づいていながら止めませんでした。これは「人を助けるためには論理的な理由が必要」と考えていた証拠。だからこそ蘭の行動は、ベルモットにとって衝撃的だったのかもしれません。

 

新出「僕に変装していたその人って…本当に…本当に…悪い人だったんですか?」
(名探偵コナン35巻より引用)

その後ベルモットは新出先生になりすまし、患者たちから多くの支持を集めています。おそらく「人を助けるのに論理的な理由は必要ない」という考え方に変わったのでしょう。ミステリートレイン編でも、一般客から犠牲者が出ないように注意を払っていました。

とはいえ、灰原やジョディの命は奪おうとしており、誰に対しても善人なわけではありません。「人を傷つけるのに論理的な理由が必要」というやり方を採用していると思われます。

 

「ヘル・エンジェル」および、宮野姉妹との共通点

「エンジェル」の定義は自己犠牲精神である。その根拠は、「ヘル・エンジェル」と呼ばれる宮野エレーナとの共通点からも読み取れます。

 

そもそも「ヘル・エンジェル」は、直訳すると「地獄に堕ちた天使」。純粋な悪人なら「デビル」と名づければいいため、エレーナはもともと善人と見なされていたことがわかります。実際、灰原に残したテープから、コナンはエレーナを「正真正銘のエンジェル」と評していました。

おそらく彼女は、以前は「エンジェル」と呼ばれていたものの、なんらかの理由から「ヘル・エンジェル」と呼ばれるようになったのでしょう。

単に「善人から悪人になり下がった」という意味かもしれませんが、命名したのはおそらくベルモットなので、「ベルモットにとっての『悪』を働いた」という線もありますね。

 

それについては後ほど触れるとして、エレーナがかつて「エンジェル」と呼ばれていたと仮定すると、エレーナと蘭には共通点があることになります。

 

 

宮野エレーナの自己犠牲精神

一介の女子高生である蘭と、組織の頭脳として薬の研究を推し進めていたエレーナ。両者には一見、共通点はありません。しかし唯一、自己犠牲精神だけは大きく共通しています。

安室「さすがはヘル・エンジェルの娘さんだ…よく似てらっしゃる…」
(名探偵コナン78巻より引用)

バーボンこと安室透が灰原を評するシーン。このとき灰原は、大人の姿に戻り、自ら死を選ぶことで少年探偵団を危険から守ろうとしていました。まさに自己犠牲精神が発揮された場面であり、安室はそれをエレーナにも見られる特徴だと感じています。

 

エレーナ「ダメって言ったでしょ?もうケンカしちゃ…」安室「だってー…」エレーナ「次に怪我して来てももう手当てできないよ…先生…遠くに行っちゃうから…」
(名探偵コナン84巻より引用)

実際、安室は過去に何度もエレーナから怪我の手当てを受けていました。

子供が一人で立ち寄っている様子からして、おそらく無償でしょう。エレーナが養護教諭だったなら違和感のないシーンですが、APTX4869を開発するほどの知識量から察するに、前職は医師。一銭の利益もなく手当てするのは、ある種の自己犠牲精神の表れともいえます。

 

灰原哀、宮野明美の自己犠牲精神

この“自己犠牲のDNA”は、じつはエレーナの娘たちにも受け継がれています。

 

たとえば、灰原哀こと宮野志保が「私さえ消えれば周囲は安全になる」と自分を犠牲にするのはたびたび見られる光景。灰原というキャラクターには、作者によって自己犠牲精神が設定されているのです。

より強力な自己犠牲精神の持ち主は宮野明美です。灰原を組織から救い出すために銀行強盗を成功させた一件は、その象徴的なエピソードでしょう。

 

そして、明美と蘭に類似点があることが作中では示されています。

赤井「思い出していたんだ…お前によく似た女を…平静を装って陰で泣いていた…バカな女の事をな…」
(名探偵コナン37巻より引用)

明美の元恋人・赤井が、蘭と明美を重ねるシーン。「平静を装って陰で泣いていた」とは、「誰かのために自分を押し殺していた」ということなので、これも自己犠牲的な行動に当たります。

 

蘭「警察呼んだから…もう少しの辛抱だから…お願い!!」灰原「お姉ちゃん…」
(名探偵コナン42巻より引用)

身を呈して自分を守る蘭を、灰原も明美に重ねます。実年齢は蘭が年下なのに姉を思い起こすのは、年齢や容姿ではなく内面性に類似点があるから。

 

ちなみに、こうした自己犠牲精神は、ほかのメインキャラクターにはほとんど見られないもの。和葉が平次を助けるために命を投げ出そうとしたくらいですかね。和葉は蘭と対をなすヒロインなので、似通った性格を与えられているのかもしれません。

蘭と宮野一族がこの特徴の持ち主なのは、作者の意図的なものであり、意図があるなら意味がある。「エンジェル」の条件=自己犠牲精神であることは、今後のストーリーの展開上、大きな舞台装置になると考えてよさそうです。

 

ベルモットにとって「エンジェル」とは?

そうなると気になるのが、ベルモットにとっての「エンジェル」の位置づけ。蘭の自己犠牲精神は誰からも好まれるものとはいえ、なぜここまで惚れ込むのでしょうか?

 

ベルモット「貴方は私の…宝物だから…」蘭「た…宝物?」ベルモット「そう…この世でたった2つのね…」
(名探偵コナン89巻より引用)

ベルモットの「宝物」は二つ。一方は蘭であり、もう一方はおそらく新一でしょう。新一に惚れ込む理由は明白で、組織に対抗する「銀の弾丸」として期待できるから。しかし、蘭のことは組織から遠ざけ、見守るようなスタンスをとっています。

ベルモット「ダメよエンジェル…貴方は入ってはダメ…この血塗られたステージには相応しくないわ…」
(名探偵コナン89巻より引用)

 

つまり、利害関係を度外視した純粋な好意ということ。

そして、強い自己犠牲精神=純粋な善意に好意を寄せるのは、善意の尊さを知っているからこそ。過去に他人からの善意を受けられなかった経験や、善意の持ち主だと信じていた相手から裏切られた出来事があったのでしょう。

 

では、その出来事とはなんだったのか。

ニューヨーク編の「エンジェルは一度も微笑みかけてくれなかった」というセリフと、二元ミステリー編の「恨むのならこんな愚かな研究を引き継いだ貴方の両親を…」というセリフ。この二つを踏まえると、信じていたエレーナと研究をめぐって確執があったと予想できます。

 

「恨むのならこんな愚かな研究を引き継いだ貴方の両親を…」
(名探偵コナン42巻より引用)

ポイントは、ベルモットが反対しているのは「引き継いだ研究」だということ。APTX4869は宮野厚司とエレーナが「はじめた研究」です。薬に「銀の弾丸」と名づけていたことからも、APTX4869は本来、組織の目的達成と対極にある存在だったはず。

つまり、ベルモットの体が成長を止めてしまっている原因は、組織がもともと推し進めていた「引き継いだ研究」にあります。

だからこそ、ベルモットはコナンを「銀の弾丸」と見込み、組織の壊滅を託している。そしてエレーナもまた、研究を引き継いだことを後悔し、秘密裏に「銀の弾丸(=APTX4869)」を開発しはじめた。そう考えるとストーリーが繋がります。

 

おそらくエレーナが薬に込めた「願い」とは、ベルモットを本来の体に戻すことだったのではないでしょうか。

自分の引き継いだ研究のせいでベルモットを不幸にしてしまったなら、エレーナは必ず解毒薬の開発に乗り出すはず。むしろ、それを諦めてベルモットを放置していたら、正真正銘の「ヘル・エンジェル」ですからね。

ベルモットは「エンジェルは一度も微笑みかけてくれなかった」と思っていたけど、じつはすでに微笑みかけようとしてくれていた、というオチ。まあ、この辺りの核心的な考察は、また別記事にてじっくり話します。

 

考察の結論

3 Lines Summary

  1. 「エンジェル」と呼ばれる条件は、自己犠牲精神に象徴される純粋な善意
  2. 蘭が「宝物」と呼ばれる理由は、利害関係を度外視した純粋な好意
  3. 元・エンジェルのエレーナは、ベルモットの体を治すべくAPTX4869を開発した
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8 件のコメント

  • 随分前の記事にコメントすいません(><)
    ブログ開設以来ずっと、考察楽しみに読ませていただいています。Hiroさんの考察は高い論理的整合性を誇っていると同時に、園子やベルモットなど、キャラクターへの愛がこもっているところが大好きです。先日Hiroさんがツイッターに上げておられた、「蘭が女優となるだろう理由」の考察を見てこの記事を思い出しました。
    ベルモットとエレーナの関係、ヘルエンジェルの意味については全く同意見です。ただ、「エレーナはベルモットの為に薬を開発した」という部分の説明が乏しく感じてしまいました。できればこの辺りのエレーナの心理についての説明をして頂けるとありがたいです。
    あと、是非Hiroさんに考察して頂きたいのが、板倉のソフトです。組織はソフトを使って何をしようとしていたのか?人類の為に断念したという意味は?そして何より、組織の研究に反対しており、板倉とも不仲だったはずのベルモットが、なぜ積極的に交渉に参加していたのか?板倉のソフトが不老状態の人間をうまく世間にごまかす類のものならば、ベルモットが必要とする理由にもなりそうですが…ミストレ以降からずっと最大の謎であり、これが少しでも紐解ければ、組織の目的に大きく近づくと思うので、ぜひHiroさんの意見を聞いてみたいです‼︎
    ラム関係の考察が山積みのこんな時に、本当にすいません。いつでも良いので、どうか負担にならない時に、ちょっとでも返信頂けると嬉しいです。
    長文失礼しました。これからも考察、楽しみに応援しています‼︎

    • お返事めちゃくちゃ遅くなってごめんなさい!こんな不定期更新ブログを開設から読んでいただいてありがとうございます…!

      「エレーナはベルモットのために薬を開発した」については、自分の研究によってベルモットを不老にしてしまった以上、エレーナの性格なら薬を完成させてそれを治そうとするはず。宮野夫妻は「恐ろしい薬」と自覚しており、それでも研究を進めるのは明確な用途が決まってるから。その上で願いを込めて「銀の弾丸(悪魔を一撃で倒す=人ならざる存在になったベルモットを一撃で治す)」と名付けてたことを踏まえると…って感じの論理展開です。

      ただ、最近になって厚司が何らかの夢を持ってたことが発覚したので、本命はそっちかもしれないな〜と思ってます。

      板倉のソフトについては、正直これといった結論にたどり着けてないんですよね。よく言われてる「未来の顔予測」は、すでに天国へのカウントダウンで実在してるので、わざわざ作る必要ないよな〜という印象です。また、板倉が依頼されてるのはソフトなので、裏を返すと当時の時点でハードは存在します。なので、現実同然のVRとかホログラムみたいな荒唐無稽な技術ではないと思います。

      ポイントになりそうなのは、板倉がCGだけでなく、かつてはプロに勝てる将棋ソフトを作ろうとしてたこと。つまり、板倉はビッグデータから最適解を見つけるという人工知能の仕組みを理解してるんですよね。現時点ではCG+ビッグデータによってできるものが、板倉のソフトなんじゃないかなと予想してます。

  • こんにちは。いつも楽しく拝見しています

    妄想考察を書く事をお許しください

    ベルモットが組織の研究の何を憎んでいるのかから派生した妄想です。
    ベルモットは証人保護プログラムを軽蔑し、自分の境遇を憂いています。
    証人保護プログラムとは、Aとして生まれ育った人間がBになることです。当然、人命優先の背景があるのですが
    極論Aが生きてきた期間、仮に17年なら享年17歳ということ

    一言で言えばアイデンティティの死。
    ベルモットの境遇はほぼその近似。
    シャロン=ベルモットです。しかしシャロンは1年前、社会から消えました。葬儀の体をとり、死んだのです。
    ベルモットは誰なんでしょう?クリス?いや、クリスは架空の存在(作者より)です。
    若さの外見が変わらない(これを前提にしてます)
    つまりシャロンをシャロンという人格として認知してくれる人間は、この世に数える程しか居なくなったのです。
    (有希子、新一、あの方他一味 くらいですか?)
    これはシャロンが何者でもなくなった事を意味するのです

    知り合いでも友人でも、クリスという架空の人物には応対してはくれます。しかしシャロンには二度とあり得ないのです。素顔で本人にも関わらず。
    存在の死 生きながら人の記憶となってしまうこと。
    この特徴を持っているのは今の所ベルモットだけです。

    次点で灰原。ベルツリ編で死ぬ決意をした時に、大人の遺体として残るべく解毒薬を握り締めました。
    この場合、灰原哀は生きているかもしれないという残酷な希望を残す事になる代わりに安全は保証される
    灰原哀の死体を残せば残酷な希望は与えずに済むが組織の魔の手は避けられない。
    一つの自我で二つの繋がりを持った皮肉。死は一つしかないのです。片方はまさしく消滅。
    皮肉にも灰原は一つの命で二つの人生を生きてしまった故に袋小路に落ちたのです。
    ←ダブルフェイスは演じている点で全く意味が違います。
    演じている=人形=生きては居ないのです。

    とまれベルモットがこの研究を憎んでいるのは、シャロンという自我の(社会的な)死を誘発したからに他なりません。
    証人保護プログラムも最初に獲得した社会的なアイデンティティを殺す事です。ベルモットにとっては肉体的な死と人格的な死は同義なのではないでしょうか。
    上記をコナンで例えると、OVA10年後の異邦人が好例です。
    工藤新一は社会的、法的に消滅し、コナンという自我が代わりに認知されだしました。コナンを新一が演じている前提なのに新一と同じ姿でコナンだという究極の段階です。
    正しくシャロンと同じ状況。ここからは二択ですよね。
    新一似のコナンとして生きるのか。架空のコナンという人生を捨てるのか。まあ彼はまだ救われるかもしれないし、両取りが可な背景ですが、ベルモットは不可な背景ということ。

    APTXが何を目的とした研究かはまだまだ推測の域を出ませんが、二重人格の調和かなと少し考えてます。
    たまたまコナン=新一はアウトプット側で二つの体を持ってますが逆に一つの体に二つの心を持った人もいます。
    その二つの心が病み、著しく精神年齢が解離したりした場合
    片方の安全な人格に体格を合わせる為の薬剤、それがAPTXシリーズ。これなら、マッドサイエンティストとも言えます
    極論、二重人格の人の四肢を拘束して安全管理というのに近い。
    ベルモットが不老にしろ幼児化にしろ成果を伝えないのはやはり進捗を問題にしていると思われます。

    • お返事遅くなってごめんなさい!いつもご覧いただきありがとうございます。

      素敵な考察ですね!ベルモットが組織の研究を憎んでいる理由は「自我の死」、だいたい同じことを考えていましたが、とてもしっくり来る表現です。まさにそれだ!ってなりました笑。

      あと、コナンのキャラクターは緻密な心理設定のもとに行動するように作られているので、心理分析によって物語を紐解いていくアプローチはめちゃくちゃ正しいと思います。

      組織の目的についてはこんな感じかなと思ってる説があるので、なるべく近いうちにアップします…!よかったら見に来てください。

  • こんにちは!いつも楽しく拝見しています。

    ミストレにて板倉とシャロンが喧嘩までしたという
    板倉ソフトはなかなか難物ですよね~

    でもベルモットは喧嘩の一方、あとからソフトを発注してますよね。
    人間の為に断念した、ということでしたがこれがシャロンとの論争の末に出した結論かもしれませんね
    特殊視覚効果からすると、ドッペルゲンガー的な物でも作る気だったのでしょうか?
    鏡に映った自分に「あなたは誰?」と尋ね続けると簡単に精神に異常をきたすという話があります。
    人の自我は想定よりも脆いものなのですが、映像がオリジナルを超える補正システムとか。初音ミクとかが動くならまだしも、自分が自分より上手く動く映像システム。
    「私は誰?」「私よりうまい私は誰?」ってなもので人の価値観を揺るがし進歩を奪う可能性がでてきますね。

    将棋と違い、演技は客観的な…演者の自我を評価すべきというのがシャロンの考えか。

    • こんにちは。いつも楽しく拝見しています

      妄想考察を書く事をお許しください

      ベルモットが組織の研究の何を憎んでいるのかから派生した妄想です。
      ベルモットは証人保護プログラムを軽蔑し、自分の境遇を憂いています。
      証人保護プログラムとは、Aとして生まれ育った人間がBになることです。当然、人命優先の背景があるのですが
      極論Aが生きてきた期間、仮に17年なら享年17歳ということ

      一言で言えばアイデンティティの死。
      ベルモットの境遇はほぼその近似。
      シャロン=ベルモットです。しかしシャロンは1年前、社会から消えました。葬儀の体をとり、死んだのです。
      ベルモットは誰なんでしょう?クリス?いや、クリスは架空の存在(作者より)です。
      若さの外見が変わらない(これを前提にしてます)
      つまりシャロンをシャロンという人格として認知してくれる人間は、この世に数える程しか居なくなったのです。
      (有希子、新一、あの方他一味 くらいですか?)
      これはシャロンが何者でもなくなった事を意味するのです

      知り合いでも友人でも、クリスという架空の人物には応対してはくれます。しかしシャロンには二度とあり得ないのです。素顔で本人にも関わらず。
      存在の死 生きながら人の記憶となってしまうこと。
      この特徴を持っているのは今の所ベルモットだけです。

      次点で灰原。ベルツリ編で死ぬ決意をした時に、大人の遺体として残るべく解毒薬を握り締めました。
      この場合、灰原哀は生きているかもしれないという残酷な希望を残す事になる代わりに安全は保証される
      灰原哀の死体を残せば残酷な希望は与えずに済むが組織の魔の手は避けられない。
      一つの自我で二つの繋がりを持った皮肉。死は一つしかないのです。片方はまさしく消滅。
      皮肉にも灰原は一つの命で二つの人生を生きてしまった故に袋小路に落ちたのです。
      ←ダブルフェイスは演じている点で全く意味が違います。
      演じている=人形=生きては居ないのです。

      とまれベルモットがこの研究を憎んでいるのは、シャロンという自我の(社会的な)死を誘発したからに他なりません。
      証人保護プログラムも最初に獲得した社会的なアイデンティティを殺す事です。ベルモットにとっては肉体的な死と人格的な死は同義なのではないでしょうか。
      上記をコナンで例えると、OVA10年後の異邦人が好例です。
      工藤新一は社会的、法的に消滅し、コナンという自我が代わりに認知されだしました。コナンを新一が演じている前提なのに新一と同じ姿でコナンだという究極の段階です。
      正しくシャロンと同じ状況。ここからは二択ですよね。
      新一似のコナンとして生きるのか。架空のコナンという人生を捨てるのか。まあ彼はまだ救われるかもしれないし、両取りが可な背景ですが、ベルモットは不可な背景ということ。

      APTXが何を目的とした研究かはまだまだ推測の域を出ませんが、二重人格の調和かなと少し考えてます。
      たまたまコナン=新一はアウトプット側で二つの体を持ってますが逆に一つの体に二つの心を持った人もいます。
      その二つの心が病み、著しく精神年齢が解離したりした場合
      片方の安全な人格に体格を合わせる為の薬剤、それがAPTXシリーズ。これなら、マッドサイエンティストとも言えます
      極論、二重人格の人の四肢を拘束して安全管理というのに近い。
      ベルモットが不老にしろ幼児化にしろ進捗を気にしているのは確かですよね。

  • こんにちは。いつも楽しく拝見しています

    妄想考察を書く事をお許しください

    ベルモットが組織の研究の何を憎んでいるのかから派生した妄想です。
    ベルモットは証人保護プログラムを軽蔑し、自分の境遇を憂いています。
    証人保護プログラムとは、Aとして生まれ育った人間がBになることです。当然、人命優先の背景があるのですが
    極論Aが生きてきた期間、仮に17年なら享年17歳ということ

    一言で言えばアイデンティティの死。
    ベルモットの境遇はほぼその近似。
    シャロン=ベルモットです。しかしシャロンは1年前、社会から消えました。葬儀の体をとり、死んだのです。
    ベルモットは誰なんでしょう?クリス?いや、クリスは架空の存在(作者より)です。
    若さの外見が変わらない(これを前提にしてます)
    つまりシャロンをシャロンという人格として認知してくれる人間は、この世に数える程しか居なくなったのです。
    (有希子、新一、あの方他一味 くらいですか?)
    これはシャロンが何者でもなくなった事を意味するのです

    知り合いでも友人でも、クリスという架空の人物には応対してはくれます。しかしシャロンには二度とあり得ないのです。素顔で本人にも関わらず。
    存在の死 生きながら人の記憶となってしまうこと。
    この特徴を持っているのは今の所ベルモットだけです。

    次点で灰原。ベルツリ編で死ぬ決意をした時に、大人の遺体として残るべく解毒薬を握り締めました。
    この場合、灰原哀は生きているかもしれないという残酷な希望を残す事になる代わりに安全は保証される
    灰原哀の死体を残せば残酷な希望は与えずに済むが組織の魔の手は避けられない。
    一つの自我で二つの繋がりを持った皮肉。死は一つしかないのです。片方はまさしく消滅。
    皮肉にも灰原は一つの命で二つの人生を生きてしまった故に袋小路に落ちたのです。
    ←ダブルフェイスは演じている点で全く意味が違います。
    演じている=人形=生きては居ないのです。

    とまれベルモットがこの研究を憎んでいるのは、シャロンという自我の(社会的な)死を誘発したからに他なりません。
    証人保護プログラムも最初に獲得した社会的なアイデンティティを殺す事です。ベルモットにとっては肉体的な死と人格的な死は同義なのではないでしょうか。
    上記をコナンで例えると、OVA10年後の異邦人が好例です。
    工藤新一は社会的、法的に消滅し、コナンという自我が代わりに認知されだしました。コナンを新一が演じている前提なのに新一と同じ姿でコナンだという究極の段階です。
    正しくシャロンと同じ状況。ここからは二択ですよね。
    新一似のコナンとして生きるのか。架空のコナンという人生を捨てるのか。まあ彼はまだ救われるかもしれないし、両取りが可な背景ですが、ベルモットは不可な背景ということ。

    APTXが何を目的とした研究かはまだまだ推測の域を出ませんが、二重人格の調和かなと少し考えてます。
    たまたまコナン=新一はアウトプット側で二つの体を持ってますが逆に一つの体に二つの心を持った人もいます。
    その二つの心が病み、著しく精神年齢が解離したりした場合
    片方の安全な人格に体格を合わせる為の薬剤、それがAPTXシリーズ。これなら、マッドサイエンティストとも言えます
    極論、二重人格の人の四肢を拘束して安全管理というのに近い。
    ベルモットが気にしているのは研究の進捗なんでしょう

    • 補足しますと、二重人格(多重人格)は
      老化が遅いという俗説、またアレルギー耐性が人格によって異なるという説があるようです。
      烏丸蓮耶の七つの子…人格説もありですね(幽遊白書でありましたけど…)
      いずれにせよ、ベルモットが人格の死に過敏になる点から多重人格は重要なキーワードだと思います
      やはりAPTXは、肉体的変化が特徴的なので気を取られがちてすが内面、人格の統合あたりか。
      あくまで研究テーマとしてなら宮野博士の目的に合致するかもしれません

      多重人格の例を出せないのは、一品物の設定を狙っているからか。ちなみに裏の性格と多重人格は違うため若狭先生はあてはまるかどうか微妙ですね笑
      ベルモットが憎む研究は、ほぼ確実に自我の死を主題としたものです。
      ※証人保護プログラム シャロンの葬儀。恨むならこんな研究~の発言が、ジョディ(証人保護~)シェリー、コナン、
      ベルモット。
      同一自我の別人が集約された場での発言なのでね。

      hiroさんはいかがお考えですか?

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    ABOUTこの記事をかいた人

    子供の頃にベルモットの変装トリックに騙されて以来、生粋のコナンファン。考察は「DEATH NOTE」などにも似た頭脳エンタメだと思います。読み物として面白くなるように「わかりやすさ」と「サプライズ」を大切にしています。本業も物書き。